
ノートルダムの鐘にガーゴイルの涙
吉幾三が昔、独自のラップで描いていたテレビもラジオもないような場所に住んでいない限り、きっともう既に聞いているはず。ノートルダム大聖堂で火災が起きたこと。800年以上の歴史を誇るその超有名な建物がたった数時間で崩れそうになったこと。
その風景を生で見た人はきっとなかなか忘れられないだろう。あの夜に起きたことが全て、衝撃的であったからだ。炎の高さ、煙の凄さ、それに周囲に集まったキリスト教との祈りの中で立ち上ったあの焦げた匂いの臭さ。その悲劇はあまりにも酷すぎて、「フランスの9.11」という言い方をする人もいたが、一応テロと何の縁もないらしいし、不思議なことに死人も一切出てないので、アメリカのトラウマとはもはや比較できないような気がする。とはいえ、パリの象徴だと言われるノートルダムはただの教会ではない分、ショックが凄まじかったことに変わりはない。
世界遺産の定義はどうなっているのかと疑問に思うくらい数多くの建物が世界遺産として登録されるこの時代に、パリの大聖堂は特別な存在であったからこそ、炎に包まれたその姿を晒した時に、誰でも言葉を失っていたのだろう。
しかもノートルダムはただ歴史の長い建物ではない。ナポレオンの戴冠式やド・ゴールのお葬式はそこで行われた他、大勢の作家や画家が描いてきた訳でフランス人には非常に親しみのある教会である。ところでその数知れぬ作品の中でひとつを挙げろとフランス人にきいてみたら最初に思い浮かぶのは恐らくヴィクトル・ユーゴーが残した『ノートルダム・ド・パリ』のことだろう。題名が示す通りノートルダムを舞台にする小説だが、19世紀フランス文学の名物であり、フランス人ならばほとんど全員が学校で読まされる一冊である。もともと著者は名の知れたライターだった上、ディズニーがその小説に基づいた映画を製作したおかげで、その物語自体は世界的によく知られているはずだが、最近の火災事件の影響で、その本はまたバカ売れした。たしか同時多発テロがあった数年前にもパリの雰囲気を描写するヘミングウェイの本も話題になり、同じく売り切れになった。悲しみを払拭させるため、読書に走ること自体は悪くないが、辛い時ばかり本を読んだら、ノートルダムの天辺から我らを見守るガーゴイル達はともかく、出版業界の人はきっと涙を流すだろう。
著者 : ユゴー
出版社 : 岩波文庫
Noisette Press 64号 (2019/05)




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