ある『場所』からノーベル賞までの努力の価値

歌手になりたいと思う人は相当の音痴ではない限りいずれはステージに上がって堂々と大勢の観客の前で歌いたいはず。

風呂で歌えれば十分だと満足するのは才能或いは野心が欠けている人だけで、本物ならやはり歌う時はシャワーではなく脚光を浴びたいものだ。
無理もない。

どの分野でも少々の野望に燃えるのも大事。

多少のモチベーションがないと毎日繰り返していること自体が何故か急に虚しく感じてしまうから。甲子園を目指しているからこそ野球少年はあれほど必死にバットを振るう練習ができるのだ。

それと同様にライターさんだって誰かに読んでもらいたくて毎日数行や数ページを書いて自分の文体を整えたりする訳。

ただ公園でひたすらキャッチボールを繰り返してきたからとはいえ将来は巨人や阪神でドラフト指名される保証がどこにでもないのと同じく、読者の心を掴めるよう日に日に頑張っても一生売れない作者も腐るほどいる。

野球選手と違って物書きには年齢規制がないから自分の努力が報われないことにも関わらずノーベル文学賞の夢を見ながら無駄にペンを走らせ続けるライターもレアではない。

しかしその殆どにはノーベル文学賞なんてもはや高嶺の花だ。
文才や売れた部数とは関係ない。

村上春樹は絶対取れると言われ続けて何年たつかと思うと目眩がする。今年はむしろ世界的に割と無名のアニー・エルノーが受賞した。ノルマンディー生まれの彼女は急に文学界に降臨して革命を起こせるほど型破りの文士ではなく、どちらかというとデビュー作を出した1974年以降からそこそこ書き続けた地味の頑張り屋である。
文体自体はそんなに美しくないけれども、そこは別に驚かない。
だってあんなに戦争をやったオバマ元大統領さえ平和ノーベル賞を受賞できたのだから、選ばれる基準はいまいち把握してない。

とにかく84歳の年齢で世界のステージに上がってこんなに輝けることは引退を早めにする野球選手まで嫉妬されるような状況だろう。

著者 アニー・エルノー
出版社 ガリマール
Noisette Press 106号 (2022/12)

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