節度知らぬ筆の行方

お金を宗教にしてきたこの世の中では、富豪者ほど暖かく歓迎される人はいないだろう。「銭のためならなんでもするズラ」と昔のドラマで呟いていた松ケンに負けないくらいズルそうな顔をして、前日記者会見を開いたゴーンはその一例である。彼はただの一文無しだったら、被告人の立場に立ちながらもきっとこうやって好き勝手に物事を言えなかったはず。

今の時代では商いのセンスさえ良ければ登竜門は余裕でくぐられるようなのでそこは昔も同じだったと思われがちだが、実は昔はむしろキリスト教の関係もあって金儲け自体は悪魔の行いとして見なされてた。特にこのフランスでも商売や高利貸しは軽蔑された職業であった。一方尊敬されてたのは、財産を築く起業家のような人より、筆を走らせることで日々の糧のえた作家の方だ。

16世紀にはモンテーニュ、17世紀にはモリエール、18世紀にはヴォルテール、そして19世紀にはユーゴにゾラ。この一連の文筆家はそれぞれ文体も生きた時代も違うけれども、全員は「表現の自由」の旗を掲げ、何を言われようが自分の書きたいように書いてた。特にヴォルテールは何より味のない文章を忌み嫌い、『寛容論』で自分が賛成すらしてないことを相手が安全して言い張れるように(自分は権力といつでも)闘えると言い残したことで有名。

作家の想像力は絶対に束縛されてはいけない。むしろ月並みな想像力で絶対に孕まれない文章を綴ることこそ、作家の仕事。高校の頃にずっとヴォルテールの作品を読まされてるフランス人は全員きっとそれに賛成したんだろう。少なくとも先月、あるスキャンダルが勃発するまでは。

作家ガブリエル・マツネフは長年、堂々と小児性愛の賛歌を歌ったことが分かり、彼を幾度も受賞させたフランスの出版界の意義は突然に問われた。

ヴォルテールとは同意見。作家というものは社会のタブーを恐れた時点、手が震えまともに物語を書けなくなる。しかしセックス・ツーリズムやレープまでしたことを自作中に細かく描写するマツネフのやったことは、キリスト教の教え関係なしでも、完全に悪魔の行いで、ヴォルテールさえきっと弁護しきれなかったのだろう。

著者 : ヴォルテール
出版社 : 中公文庫
Noisette Press 51号 (2020/02)

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