歴史は過去との対話である。

本の虫が言いそうなセリフだが、確かに歴史がわかるようになりたければ自ら時代を振り返り積極的に何が知りたいのかを過去に問いかけるしかない。まぁ池上彰や塩野七生の本を買い漁ることも勿論ありだけど、ここは日本の作者を紹介するコーナーではないのでその選択肢を勝手になしとさせていただく。

しかし過去に問いかけることよりどの視点から問いかけているのかが肝心。その問いかける立場次第で得られる回答が変わり、史観も変わるのだ。ガンジス川辺りに生まれたインドの不可触民はトロカデロ周辺のマンションで暮らしているフランスの富豪と同じ風に歴史を捉えないだろう。捉えるはずもない。当然である。地位の差はともかく、宗教や言葉もあまりにも違いすぎるから。

キリスト教の影響でフランスを含め西洋では神の子と言われたイエスの誕生から歴史が始まり、世界の終焉に相当するアルマゲドンで終わるとずっと説かれてきた。多神教のインド人からすると完全にふざけた話だろう。まずひとつの神を特別扱いするメリットがみえないだろうし、最終的にアルマゲドンなんちゃらがくるとしてもどうせブルース・ウィリスかそれなりに似ているボリウッドスターがきっと動いてくれるとは思うだろう。

似たような意味で日本人とフランス人も違う史観を持っているはず。アジアの島国である以上、日本は年号で時代を分けている。同じ区切り方をしないからこそこっちでは令和時代になったことが結局異国味のあるニュースに過ぎなかった。それ以前に日本史に重要な出来事である関ヶ原の戦い(1600年)や黒船来航(1853年)を大堤の日本人は把握していてもほとんどのフランス人にはピンとこない。一方マリニャンの戦い(1515年)は覚えやすいからかこっちの一般常識である。何より「1789年」と言われたらすぐ革命だとフランス人全員が連想するだろう。ところで毎年の7月14日であるその革命記念日に行われる軍事行列や花火を見たら、あれは近代仏史の最も重要な出来事であることがわかるはず。そしてフランス人の史観に少しでも近づきたければまずそこから攻めるべきなのではないかと。そのために過去との対話が退屈そうだったらおすすめはユーゴーやフローベールの古典に挑戦することだ。

ユーゴー 『レ・ミゼラブル』(岩波文庫)
フローベール 『感情教育』(光文社古典新訳文庫)

Noisette Press 67号 (2019/08)

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